まなたんヒストリー

せと まな(まなたん)

よしよしわたし倶楽部部長
鍼灸あんまマッサージ指圧師
マインドマップ インストラクター
マスタータイムコーディネーター


小学校で若年性関節リウマチと診断された私は、堂々と嫌いな体育を休むことができる理由ができたと喜んでいました。
しかし、母は心配して毎月の小児科の膠原病専門の先生のところに通いつつ、ヨガを習わせてくれ、毎週のように鍼灸治療に通わせてくれました。その時の母の思いは自分が親になってようやくわかりました。

家にはツボの本や、ヨガの本が並び、戸棚をあけると良導絡の機械や、棒灸が何種類も入っていた環境はややサラリーマン家庭には珍しい景色だったかもしれません。

そんな環境で育った私は、中学生の頃には、友人の生理痛を和らげるため三陰交を見つけ胃経をマッサージしたりと、人の體に流れる「氣」を自然と感じ、自分がそこにちょっと手を加えるだけで人が変化する神秘に気づいていました。

21歳の時、18歳の弟を看取る経験をしました。
心臓が止まった瞬間、「氣」の流れが消えていくのを目の当たりにし、翌日荼毘に付される弟と家族で最後の夜を過ごした時、そこには弟の亡骸はあっても氣配はありませんでした。

この経験を経て、大学3年でゼミを選ぶ際には社会史特に死の文化史を学ぶこととにしました。そこで知ったのがペストが猛威を振るった中世ヨーロッパで描かれた絵画にもされこうべと一緒に記されている“memento mori”メメントモリ(死を思え)。の言葉です。

以来、Memento mori を座右の銘としてきました。

それなのに、自分はもう病気になはならないという根拠のない安心感の中で過ごしていきました。
病名がつくことはなくても、疲れやすい、食べても食べても太らないし、お腹がすく、でもだるい、すぐに熱を出す、でも辛い時は鍼灸治療へ。そんな日々を過ごしていました。

そしてOLをしていたある日、会社で同僚の肩をもんだり、ツボを押したりしている私を見た監査役の年配の男性に「資格もないくせにいいのかい?」と言われたことがきっかけで、「なるほど!資格を取ったら、人が経絡やツボで変化する様子を自分の手でみることができる!」と気づき、当時勤めていた外資系銀行を辞め、専門学校に通い、晴れて鍼灸あんまマッサージ指圧師となりました。

結婚、出産後、夫に伴い海外生活。
順風満帆だと思っていた日々でしたが、息子が中学校へ通うようになった夏、父が亡くなり、義祖母、祖母、祖父、母がその後立て続けに天に旅立っていきました。

看取る、葬儀、納骨、看取る、葬儀、納骨・・・短い期間に何度も繰り返したある日、自分が癌になりました。

Memento mori を座右の銘にしておきながら、実際には自分はまだ大丈夫と心のどこかで思っていたのでしょう、あ、私も死ぬんだ!と癌になって初めて本当に気づいたのです。
これまでの自分は鍼灸治療しているし、そもそも鍼灸師なんだし大丈夫、という驕りがあったのかもしれません。

そんな私が気づいたのは、癌になる前に抱えていた、

  • 疲れやすい
  • すぐに風邪をひく
  • 寝ても疲れがとれない
  • 冬は毎年しもやけになる
  • すぐお腹がすく

そんな自分を当たり前と思って、あまり重要視せずにこういった體からのお知らせを放置していたのです。

人の體はとてもよく造られています。まだ人間は一から人間を造ることができません。
鍼灸師として患者さんを治療していると、宇宙的な人の體の神秘に日々驚かされます。とても精密に、バランスをとってくれています。
そこから発する全ての事象、鼻水がでる、痛い、かゆい、そんなことが当たり前ではないと気づかされました。

そして、體から発してくれたお知らせ一つ一つに丁寧に向き合うと體はとても喜んでくれ、元の元氣な私に戻るのです。
もしくは新しい自分に生まれ変わるのです。

私のように気づくのが遅くなってほしくない、一日でも早く、自分をよしよしと労わり、大切にする人になってほしい。
そんな思いで、よしよしわたし倶楽部があります。

1968年東京都生まれ。
1997年イタリア系銀行退行後、鍼灸の専門学校へ
2000年鍼師・灸師・あんまマッサージ指圧師国家資格取得 以来23年女性専門往診治療に専念。
2002〜2004年夫の留学に伴いスイスベルンへ
2019年患者様が治療後にお灸を自宅ですることにより、治療効果が持続することがわかりお灸教室をはじめる。
2020年お灸教室オンライン化
2021年よしよしわたし倶楽部スタート
2024年5月お灸サロンスタート